長崎の観光地を紹介する長崎ツアーの第一回目。
記念すべき第一回目は、最近上陸ツアーができた「軍艦島」です。
軍艦島(ぐんかんじま)
長崎県長崎市の島、「端島」の通称。
かつては海底炭坑として栄え、東京以上の人口密度を有していたが、閉山とともに島民が離れ、現在は無人島。
端島での石炭の発見は、一般に1810年のこととされ、これは日本における石炭の発見では遅い方とされている。
しかし、それ以前にも「磯堀」と称し、ごく小規模に露出炭の採炭は行われていた。
1916年には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号」が建設された。
この年に、大阪朝日新聞が端島の外観を「軍艦とみまがふさうである」と報道しており、5年後の1921年に長崎日日新聞も、当時三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に似ているとして「軍艦島」と呼んでいることから、「軍艦島」の通称は大正時代ごろから用いられるようになったとみられる。
戦時中に米軍潜水艦が本物の軍艦と勘違いして魚雷を撃ち込んだという逸話があるが、実際は停泊していた石炭運搬船「白寿丸」を狙って撃沈したものであった。
最盛期には小中学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場(スナック)などがあり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していた。
ただし火葬場と墓地、十分な広さと設備のある公園は島内になく、これらは端島と高島の間にある中ノ島に建設された。
1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行により衰退。1965年に新杭が開発され一時期は持ちなおしたが、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年1月15日に閉山した。閉山時には約2000人までに減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、端島は無人島となった。
現在は近代化遺産として、また大正から昭和に至る集合住宅の遺構としても注目されている。廃墟ブームの一環でもしばしば話題に上る。現在は無人化により建物の崩壊が進んでいる。
2005年8月23日、報道関係者限定で特別に上陸が許可され、荒廃が進む島内各所の様子が各メディアで紹介された。
島内の建築物はまだ整備されていない所が多いものの、ある程度は安全面での問題が解決できたため、島の南部に整備された見学通路に限り、2009年4月22日から観光客が上陸、見学できるようになった。
解禁後の一ヶ月では合計4601人の観光客が端島に上陸している。

端島への交通アクセス
軍艦島周遊上陸コース:長崎港ターミナル 浮桟橋(ビクトリア・イン長崎からはホテルを出て観光通電停より乗車〜大波止電停で下車し徒歩5分)